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幼少期の生活環境と認知症

たくさんの心理学や精神医学の本を読んでいて思うのですが、認知症の問題行動を引き起こす流れに一定のパターンがあり、調べたことを個人的にまとめています。

 

認知症の患者さんの感情について調べている事をまとめていますが、一般の人にもあてはまる部分も多くあります。


私の書いている要約が必ずしも正しいという訳ではありませんが、人の感情の出し方のパターンとそれぞれの対処法を調べる事で、人と人とが傷つけあわないようにする方法について調べていきたい事に加えて、今後のための備忘録としてそしてまたもし現在接し方で悩んでいる人がいたとしたら、解決のためのヒントとして少しでも参考にしていただけるようでしたら嬉しいです。

加えて、間違いがありましたらご指摘いただけると幸いです。

■素直な人、素直ではない人


人と親しくなった時に素直に会話を続ける事ができる人と、そうでない人がいます。

人と親しくなった時に素直に会話を続ける事ができる人と、そうでない人との違いは何なのでしょうか。


恐らく「慣れ」ではないでしょうか。

親しくなっても素直に会話できることに慣れている人と、そうでない人との違いです。


人間は外面をいくらでも装い、取り繕う事ができます。しかし内面はどうでしょうか。

という事は人間の本質的性格とは、自分の内面性を作る切っ掛けを作った「両親との関係性」にあると言えるのかもしれません。


相性が悪い人同士が親しくなると、普通はごく短期間で破局します。社会的損失も生じます。

相手のことが好きだから、素直になれなくなりすぎてしまうのです。


やがて素直になれないを通り越して「私を理解してくれず(理解されたくても絶対に理解させてあげないがそうした気持ちにさせる)相手が許せない」と無意識的に思うかもしれません。

そうした人はまた無意識的に「親が許せない」と考えている人であり、

それはまた親に対して「こんな自分が嫌いな自分をしっかり叱って欲しかったのになぜ分かってくれなかったのか」という、

たましいのレベルにおける要求であるのかもしれません。

 

 

 

■過剰行動児

介護される側がいきなりキレてしまい、ヒステリーのスイッチが入ると一日中険悪な雰囲気になってしまい仕事どころではなくなってしまう。そのキレ方が常軌を逸しているというか、尋常ではないため、まわりから理解・協力者が減ってしまうのが介護での一番の悩み、と今まで書いてきました。

ここ数年間、介護片手間に仕事をさせていただきながら、自分なりに色々な人が執筆した心理学、精神医学の本を参考に勉強してきました。

そこで、介護と子育てでの精神的な問題の多くは共通している部分が多く、ほぼそのまま対処法を流用できる事も多いようだ、という事もわかってきました。

当てはまらないものもありますが、少なくとも今私が抱えている介護での悩みの原因は「幼少の頃の両親との関係をそのままにしてきた人が、自分の死期や生活の不満を感じるとその不安のはけ口として親しい人に対し問題行動を取るようだ」と思えています。



先日も、これまで悩んできた「キレる」行動について調べていると、はやし浩司さんという方が執筆されている「キレる子ども」というホームページに偶然いきあたり、拝読させていただきました。

この方が書いている内容は小学生の子供についてですが、驚いたことに、これまで私が看てきた80代の認知症の人が取る「キレる」とまったく同じなんです。「いきなりキレる」「通常と目つきが違う」「突然人格が変わり、相手に容赦しない」など、読んでいて同じ内容だと感じました。

そしてこの方の研究によれば、


”原因のほとんどは、慢性的なストレス、日常的な緊張感、抑圧感の蓄積と考えてよい。それが脳間伝達物質の過剰分泌を促し、瞬間的に脳の機能が異常に亢進するためと考えられる。 さらにその原因はといえば、脳の微細障害説などもあるが、家庭環境も、大きく作用していることは否定できない。”


と書かれていて、確かにそうだと思えるし、共感できる内容でした。このような子供と接する際は「過剰行動児」への対処をするのがいいとの記載もありました。

この記事の内容を見てまずとても驚いた事と、解決への有力なヒントを得る事ができ、接し方についての同じような悩みを抱えている人がいて元気づけられた感じがしました。過剰行動児…初めて聞く言葉で勉強になりました。

■問題行動、なぜ攻撃するのか

人が問題行動を起こすパターンとは…

”人間にフラストレーションやストレスといった「刺激」が加わり、『我慢できない』状態になって「挑発的な行動を取る」”という流れがあります。

例えば「学校でみんなからからかわれたA君が、イライラを我慢できず、罪もないB君をすれ違う際に殴った」というような出来事です。


介護での問題行動の多くや、学校や職場での深刻ないじめなど、人間の問題行動は「ストレスやフラストレーションなどを感じた際はけ口が必要で『我慢できない』」となり、挑発的行動という形で原因が起こります。

そしてどうやら『我慢できない』というこの衝動が、今まで長い間調べてきた「幼児性」の正体として結論付ける事ができそうです。なお、今回の解説では、「身体的な痛み」についての解説は除いています、身体的な痛みから来る他者への攻撃の原因はやむを得ないもので「幼児性」とは言えないからです。



では、ほとんどの人は成長の過程で、経験や知識を得る事によって幼児性がなくなるはずですが、なぜ一部の人は我慢できず、社会人になっても幼児性を出しつづけているのか。

手がかりは「生きる目的」にある事がわかりました。

そもそも私たちは生活する上で、人生において自分とはそもそも何者で、どこに向かっているかが定まっていないか、家庭内でしっかり話あっていないと「飽きやすく、努力が継続しずらく、我慢するのが難しい」とゆう性格になりやすくなるようです。

生きる目的がよく定まっていないと「頑張っているが、できない」となるんです。本人は一生懸命やっている。でも、「こんなに頑張っているのに、なぜかうまくいかない!」となっています。それを含めて、自分の感情をわかってほしいため挑発的行動に至るのですが、ここで自己矛盾がある場合、自分の性格の欠点を改善するための説得が難しいのです。言うことを聞かない、嫌な事に聞く耳を持たない、という事です。



自己矛盾が問題とはどういう事なのか…

社会において一部の人は「他人のためになぜ我慢しなければならないのか」「嫌な事から逃げるのがなぜ悪いのか」→「そっちの方が楽じゃないか」「人から幸せを奪うことの何が悪い?」「人が不幸になるのは仕方がない、なぜなら私も不幸なのだから」という生き方を心のどこかでしていて、自分の性格を反省し、深刻な問題と向き合う事から逃げつつ、そのばしのぎ的な生き方をしている人もいます。

問題と向き合わないクセが慢性化すると、いずれ自分に自信がなくなり、自分が嫌いになってゆきます。すると今度は「自分が嫌いな自分のためになぜ自分の性格を正さなければならないのか、幸せになるなんてばかばかしい」という自己矛盾が生まれ、他者を妬みやすい気質になります。

やがて「いつも笑顔でいる人」「雰囲気的に余裕が感じられる人」「おっとりした人」「真面目な人」「素直な人」など、自分にない価値観を持っている人を見るだけでイライラするようになります。なぜか見るだけで劣等感や矛盾を感じてしまい、こうゆう人が大嫌いで、そばにいるだけで耐えられない、と考えるようになります。

その劣等感のはけ口として挑発的な態度を取り、無理やり人に嫌な思いをさせ、そして本人はなぜそうしたいのかわからないと言っている…これが人間の多くの問題行動の原因、学校や職場でのいじめの原因だともわかりました。

こうした経緯から、『我慢できない』人ほど「人を不安にさせたり、泣かせたり、傷つけたり、騙したり、仲間外れにしたり、人から物やお金を奪ったりする事に喜びや欲求を感じる」という不幸体質の人格が作り上げられやすくなると言えます。



逆に言えば、自分に自信がある人ほど「すべての自己犠牲は自分のためでもある」という考えを持っているとも言えると思います。加えて、肉親との関わりを密接にし、お互いに大切にしたりされたりしています。家族と関わりを見直したくない時は、信頼できる人の関係を時間をかけて大切にする努力をする事で変わってゆくはずです。今一度、自分たちの生きる目的についてを振り返り、自分の行動に気づく事が大切なのかもしれません。

そしてこれからは、トラブルへの対処法についてお互いに積極的に啓発してゆく事で、なるべくお互いに傷つけあわず、より良い生き方ができるようになれば、その価値観は人と人とがより深く信頼しあえる社会のために非常に重要な思想になるものと、私は思います。

介護での問題行動で悩む人が世の中から一人でも減り、多くの人々が幸せな生活を送る事ができるようになることを願うばかりです。


※攻撃的になる原因はほかにも、カルシウムが不足していたり、胃や腸の調子に不具合が生じたり、薬の副作用でも起こる事があるとも、専門書などでは詳しく書かれています。

また今回は書きませんでしたが、例外的な例では、リウマチなど慢性的な体の痛みを伴う疾患が原因になっている場合もあります。この場合の対処はまた別で、イライラしたくなる気持ちになるのも、自己主観的な発想が原因ではない分、ある程度やむをえないのかもしれません。

■幸せ体質と不幸体質

例えば騙す人、騙される人で考えてみると、騙される方が幸せな人で、騙す方が不幸な人、という考えがそのまま当てはまります。

騙される人は、当然ですが相手を信じているから騙される、人を信じる力や心の余裕があるから騙されてしまいます。だから、騙される人は人として何も間違った事をしていないし、そのような生き方や考え方、価値観を持っている事がひとつの幸せです。


騙されたと感じる人は、あらかじめ前もって騙す相手がどのような気質の人間でなぜ騙すのか、どのような方法で人を騙すかを知り、加えてどのような行動を取られると相手が不安を感じるかについて理解をする事で騙されにくくなります。

騙されているかもと感じた時は、相手について詳しく調べる、これまでの出来事を人に話して、できるだけたくさんの人に助けを求める、相手の職場の上司や相手の両親に相談する、相手の友人と接点を持つ、などの行動を取られると騙す側は不安になります。

なぜなら人を騙す人は自分について多くを知られる事で、相手を騙している事実を知られたり、過去に人を傷つけてきた場合はその事実を知られてしまうと、弱みを握られる可能性があると考えているからです。

だから、狡猾な考えを持っている人の多くは自分についてをひた隠しにしており、それは他人から知られると自分が不利になる(逃げ出さなければならなくなる)事実があるからです。



不幸体質とは真逆で、他人の信頼を裏切る、からかう、理不尽な仲間はずれをする、根拠の無い噂話をする、泣かせたり不安を感じさせる、ちょっかいを出す、ケガをさせる、物やお金を取る、という行動に対して心のどこかで喜びや欲求を感じる人です。

その考えを生み出すエネルギーは自分の中にある他人の幸せに対する不安や妬みです。他人を不幸にする事で自分が少しでも幸せになりたいと感じている。しかしその方法では絶対に幸せになる事はできないのですが、気がついていません。


不幸体質の人ほど心から人を信頼しておらず、信頼していないがゆえに他人から信頼が得られず、下手をすると自分がなぜ人を騙したのかさえわからない事もあります。そのため内省的な性格になりずらいパターンに陥りやすくなります。

本来なら心から信頼できる家族(特に両親)から、そのようなやり方では幸せになれないと指摘され気がつくべきなのですが、家族と疎遠にしていたり、幼少の頃の家族関係に問題があると気がつきません。

そして私は不幸だから、何もできないからあれもやってほしいこれもやってほしい、なぜ私の気持ちを察してくれないのか?何でもできる人はむかつくから仲間はずれにする、賢い人と接点を持つと自分の中を見透かされているようで怖い、人にちょっかいを出して相手が嫌がる姿を見たいし、自分もかまってほしい、と、まるで子供が我がまま言って駄々をこねるような人格ができあがってゆきます。

それは両親に求めている愛情そのままのものでもあるのですが、これを無意識のうちに他人にぶつけてしまいます。


つまり、不幸体質の人は、幼少の頃の両親との関係性が一部残ったままになっている、それはこれまで親から愛されたかったけれど愛されなかった自分であり、自分が嫌いな自分でもある。

いずれ仕事や恋愛、子育て、介護、友人関係などで親しい相手と矛盾が生じ、結果的に他人の信頼を裏切り、傷つけ、相手も自分も場合によっては職場や親族も巻き込み不幸にしてしまう事もあります。それでもなお、その不幸に心のどこかで喜びを感じてしまうのです。


加えて人を騙す人の場合は、深層心理では騙されそうな人を探しています。なぜなら自分も一緒に幸せになりたいという気持ちと、こいつを不幸にしてめちゃくちゃにしてやりたいという矛盾や依存心を持っているためで、どうにかして他人から幸せを奪おうとします。自分のための自分の目先の幸せしか考えていないし、他人など不幸になればこれ幸い、どうでもいいのです。

それは不幸体質から抜け出そうと自分で自覚しない限り、絶対に抜け出す事ができません。不幸な人はかわいそうな人だからと情けをかけると、残念ながら不幸体質な人はその気持ちすらも嫉妬し、嫌悪感を持ち、利用し、裏切ります。そのため不幸体質な人は信用を失い、人が離れていってしまいます。


自分は自分以外変える事ができません。間違った事をして自分の不幸体質を自覚し、これからの自分の人生を変えようと努力する人も多くいます。他人に自分の好きではない自分を何かの出来事がきっかけで誰かから受け止めてもらえた事で、心の傷が癒えたと考える事ができます。

ただ、一連の出来事が幸せに向かうためのきっかけの出来事になるかどうかは、その人が現在抱えている不幸の度合いと、トラブルが起きた出来事の重大さで決まります。



ある場所に二人の人がいたとして、どちらかが幸せだと感じていて、もう一人が不幸だと感じている場合、いずれ不幸な人が幸せな人の信頼や期待を裏切る行動を取る可能性が出てきます。

人が幸せと不幸を感じる限り、信頼を裏切ったり、裏切られたりする可能性がありうる、だから人を信用できるかどうかを深く考えるよりも、人から騙されたり裏切られたと感じた際にどう対処するかで、その後の自分の人生を幸せにしたり不幸にしたりできるのではないか。

そしてその考え方が、今後の人としてのより良い生き方に繋げていく何かのヒントになると思います。

■心の傷の癒し方

他人と何度も同じようなトラブルを起こしてしまう、なんでこうなるんだろう、という事は誰しもあると思います。

人は心に傷が残っている場合、その傷が癒えない限りいつまでも同じトラブルを何度も繰り返してしまいます。心の傷は放っておいても癒えないし、自分一人で治すこともできないという、なかなか厄介なものです。


例えば、DV(暴力)をやる人は、過去に色々あってその時に出来た傷が癒えていないから、一定の条件が揃うと再び暴力を振るってしまう。傷ついている自分の心がこれ以上傷つかないように、暴力を振るって「はけ口」にしてしまう、という事を繰り返してしまいます。

「自分が傷ついている事を素直に言えば良いのでは?」と考える人もいるかもしれませんが、仮に素直に「私の心は傷ついています」などと言ったら、ひょっとしてその話を聞いた誰かから「私の方があなたなんかよりもずっと傷ついている、あなたはまだマシ」などと言われてしまいなおさら傷ついてしまうかもしれない。

だから心に傷を負っている人は、これ以上自分が傷つかないように「素直にならないようにしている」と言われています。

心の傷が深い人ほど攻撃的でトゲトゲしい態度を取るとも言われていて、それは「私の心は今これだけ傷ついている」という事を人にわかってほしいから、そうしてしまいます。心に傷がついている時、人を不幸にさせて「自分だけではない」という安心感を得たい気持ち、そして「こんな私をわかってほしい」という理解を求める気持ちが無意識に出てきてしまいます。

では、どうすればいいのでしょうか…。


「人の心は人によって傷つけられるが、その傷はまた人によって癒される。」
という仕組みが人間にはあって、心理カウンセラーの多くがインターネットや本などで詳しく解説しています。


「友達とケンカしてしばらく口をきかなかったけど、悪かったと思って謝って仲直りしたらほっこりした」という事はないでしょうか。案外あいつ良い奴なんだな、みたいな。

ケンカはなるべくしたくないですが、しかしケンカをする相手は親しい関係でなければなかなかしませんし、仲直りもなかなかできるものではなく難しいです。でも、この場合は「仲直り」する事でお互いより深い関係を築くことができ、心の傷が癒されてゆきます。


そして心の傷を癒す力は家族(両親、祖父母、兄弟、自分の子供)が一番影響力が大きく、傷も付きますが、癒す力が大きいと言われています。特に両親との関係に事情がある場合、人となかなか親しくなれない、素直になれないと悩む人が多いように感じます。

心の傷を癒す力は家族の次に恋人、親友と続いてゆきます。家族と疎遠になっていても、心の傷を癒す力を持った人として恋人は新しく作る事ができます。たまに、自分に自信がない女の子に彼氏が出来た途端、性格が明るくなったという話を聞きますが、愛されないと思っている自分を恋人から受け入れてもらえた事で心の傷が癒えたとも考える事ができます。

■「空気を掴む不思議な動作」の意味

認知症の人と接している人なら見たことがある人もいるかと思うのですが、

時折空気を掴むような動作や、何もないところで手を伸ばしたりしている人がいます。

これは一体何をしているのだろう?と不思議に思えてきますが、ちゃんと意味があるそうです。


というのも先日精神科の医師の話を聞いていてわかったのですが、これは「虫(幻覚)が見えている」のだそうです。

幻覚で見えている虫を取り除こうと、手を伸ばしたり、空気を掴んだりしているのだとか。

確かに自分だけ見えていて、みんなには見えないだなんて、それは不安になりますよね。

そうした「自分だけなのかな・・・?」という感覚から不安になり、他人に八つ当たりをする人もいるのかもしれません。


私たちの脳は前頭葉の組織が壊れてしまうと幻覚や幻聴を感じたりするようになり、これは認知症の人にも見られる症状なんだとか。

精神病の場合は薬物療法によって治療や改善を行う事もできるとの事でしたが、

日頃からの家族のフォロー(気持ちを分かってあげる)、と休養を併せて心掛ける事も大切にしたいものです。

■認知症を患う人物像と、その生き方

 

一部のいじめっ子はいじめを何度も繰り返しますが、なぜいじめを何度もするのかというと、何かの拍子にすぐ幸福感が満たされなくなるからだと思います。そうした環境で育った子供は、大人になってからはいじめをする癖がある自分を隠しながら生活をします。気を遣うことで、他人を傷つけないと同時に自分の社会的評価を上げることができるからです。

ただ、気を遣わなくてもいい家族に対しては、普段建前の自分を作って気を遣っている分、ストレスのはけ口を求めます。そして八つ当たりします。つまり、八つ当たりをしなければならない気持ちこそ、その人の本体の性格になっているという事になります。ありのままの自分では生きて行くことができていないのです。

介護において、何かの拍子に自分の死期を感じると、幸福感が失われます。そして、家族だからこそ八つ当たりを始めます。八つ当たりすると、自分が嫌いになります。では、一人で住んでいれば良いという事なのですが、ある環境で育った人物は見捨てられ不安という感覚があり、その不安要素がまた八つ当たりの原因になっています。自分の性格が悪いとゆう自覚があるからこそ、見捨てられたくないと同時に、八つ当たりをする自分も認めてほしいのです。

しかし、それは本来理想を言えば親に対する要求であり、親以外の人に対する要求ではありません。そのため、親以外の人が近寄ると不安を感じ「あなたに自分が嫌いな自分の何がわかる」、という強い嫌悪感を感じるようになります。そして一人でいると、自分の性格や過去の出来事と向き合わなければならないため、辛くなってしまいます。家族とはいつまでも離れられず好意と要求と、憎しみとが混ざり合った共依存状態が続き、近しい親族を苦しめ続けます。それがさらに自分を苦しめる事になり、ますます自分嫌いになります。

とある社会学者の著書によると、「人と親しくなると嫌いになる」というのは、気を遣わせている相手が憎らしく感じてくるからであり、自分が嫌いだからである。その原因を作り出す発端として、幼少時の両親との関係性があるとの記述があります。その子供にとって厳しすぎるか、ほったらかしにされたと無意識的に感じて育った子供が、上記のような性格になりやすいとも言われています。

常に誰かから支えてもらっていないと八つ当たりをしなければならず、「幸せなのに生きている限り幸せでないと感じている」という精神的構図ができあがっています。つまり、本人の現実の捉え方が大きく歪んでしまっている、という事です。

客観的に見ると一見「本人のわがまま」の一言で切り上げられそうですが、しかしその気持ちを作り出す原因は上記のように幼少期からの因果関係が複雑に絡み合っており、余程人間関係に真剣に悩んでいる人でなければ原因解決に結びつける事は難しいのではないかと考えています。

結果的に、自分で作り出している不幸のるつぼから抜け出すことができず、いつも八つ当たりを続けながら生きていくしかなくなってしまい、本人は不幸だと感じずにはいられないという事になっています。

端から見て幸福な人が幸せになれないというのは、かわいそうな人だと思います。そして、その発端は幼少期に身につけた「他人をいじめる癖」を改善できない事にあると考えており、その意味でもいじめとの関連性について今後も調べて行きたいと思っています。

■見放すとしたら

 

これまで介護関連の記事を読んで「依存されているので、離れた方が良い」と思う人も多いのではないでしょうか。

支える側同士で何度も考えてきたのですが、こうした人は先日も書きましたが見捨てられる不安があり、例えば別居するといずれ必ず身内や親族を恨み、わざと他人とトラブルを起こします。

そして警察のお世話になるなどして「家族が私の面倒を見なかったから、このような悪事をした」と主張すれば、介護する側に対する世間の評価が悪くなり、いつか身内がかまってくれるという自覚があります。

若い頃から何度もそうして来たのですから、お手の物です。

不良学生がわざとらしく学校でタバコを吸ったりする行動と一緒で、自分は面倒くさい性格だという自覚があるので、わざとイタズラをして他人をイライラさせ、自分をかまってほしいんです。


もし本格的に見放すとしたら、単純に別居するなどでは済まず、法的に認可される形で正式に絶縁をして、住所もわからないようにお互い完全に他人の状態にしなければならないという事になると思います。


そして身内からすら見放された人間はどうするかというと・・・追い詰められて人生破綻してしまいます。

実際、そうした判断に踏み切る(ほったらかしにして、結果的に自ら人生破綻させる)家庭もあるようですが、


だから性格改善ができればと模索していたのですが、もう言葉が分からなくなってしまいました。それでもなお狂ったように八つ当たりを繰り返しています。

「三つ子の魂百まで」とも言います。恐らく死ぬまで治りません。

残念ですが、「いじめっ子は自分の性格を直そうとしなければ、死ぬまでいじめっ子」だと言えそうです。

■接し方のまとめ

 

・できるだけ周囲の人と相談をしながら接し方を工夫する。一人で重荷を抱え込んだり、悩み続けたりしないことが大切だと感じました。

 

・認知症で負担がかかってきている(徘徊、言うことを聞かない、ワガママ、妄想、排泄の不具合など)と感じたら、無理せず行政機関に相談する事が大切だと感じました。最初は介護保険関連の手続きなどで大変ですが、無理せず少しずつでもいいので手続きを進めました。

 

・ワガママな性格(ハイの時)に豹変した時にはまともに相手をしない。むしろ冷たくしたり、無視するぐらいでちょうど良いようです。気分がハイの時に相手をするとどんな事でも悪い方向へ進めようとする事に加え、言うことを聞かないためです。普段の性格に戻ったら、優しく接するように工夫します。うちの場合は加えて、ハイの時にわざと冷たく接していた理由(相手にするとお互いのためにならない)と伝えると介護される側も納得していました。

 

・徘徊の時には家族の根気強いサポートが必要でした。しばらくの期間(半年ほど)徘徊が続くと、自分でも普段の調子と違ってきている事に次第に気がつき始めてきます。いずれ行動範囲が少しずつ狭まってゆくので、仕事の量を加減しながら無理せず徘徊のフォローを続けました。

 

・昼夜逆転して、夜に目がさえてらんらんとしている時は、両親と交代で面倒を見ました。ラジオを聞かせて気を紛らわせたり、LED電球を常時点灯させるなどして不安を軽減させるための工夫をしました。不安になっている時は夜中に家中の照明を点灯させて、長靴を履いてテーブルの上に上がり、「二階へ行きたい」などと意味不明な事ばかりを言っており、不安からひどく興奮してうわごとを言っていました。

 

・昼夜逆転と汚物飛散の時には家庭でできる介護の限界を感じてしまうほど大変でした。オムツを装着させて、寝ている間に無意識的にオムツを取り外そうとするのでガムテープでしっかりと固着させて、同時に漏れを防ぐように工夫していました。どうしてもオムツを取り外そうとする場合には介護する側の睡眠不足を防ぐため、介護される側に対して靴下を両手に装着しガムテープで取れないようにグルグル巻きにし、やむを得ずミトンの代わりにしていました。手を不自由にしたことで虐待的にならないように、ファンヒーターの時間延長(安全装置)のスイッチを押す際に定期的に状態をチェックしていました。

 

・上記の昼夜逆転と汚物飛散の状態が長く続いていた時に、特別養護老人ホームへと入居手続きを両親に進めてもらい、入居する事になりました。施設の人とはうまくやっているとの事で、ひとまずは安心しています。